[スタッフ]小嶋です。

 今日は、「ストラッチ・海老インゲン2種海苔のピリ辛ソース」です。
 “ストラッチ”とは「紙切れや、布切れ」という意味なんですよ。形は三角や四角形の1口大に切り分けたパスタを指します。当店でも一番のロングセラーの、このパスタが完成するまでのストーリーをご紹介したいと思います。

 
 まず、このパスタとの出会いからいきましょうか・・・・わたしの記憶が確かなら・・あれは確かフランスワールドカップがあった、1998年のことだったとおもいます。当時7件目の修行先であるシューネックで働いていた12月の大雪{といっても、ここは北イタリアのはてのはてオーストリア国境まで20キロたらずの山の中標高1000メートルぐらいのアルプスの少女ハイジの世界、というところで毎日が大雪・・・毎日がドイツ語・・・と言う所です]のある日、一本の国際電話がかかってきまし・・・・日本の日高シェフからで、なんでも今度ローマでおこなわれるガンべロ・ロッソという、イタリアのミシュランみたいなガイドブックが主催する600人のお客さんを呼ぶディナーが開かれるらしくてイタリア国内の3星、2星、1星シェフと一緒に、日本代表として、日高シェフとヒロの山田シェフが呼ばれてローマ・ヒルトンで料理を出すというのです。

 さっそく、お店のシェフにお願いをして、そのイベントに参加させてもらうことにしました。

 それにしてもビックリなのはこのイベント、5人のシェフのうち、3人のシェフが僕の師匠なのです・・・・・とてもわくわく、そしてとてもドキドキです。自分勝手な解釈をすれば、このイベントは僕の修行時代の一番の思い出であり、そして僕のためのイベントじゃないか・・・そのぐらい興奮しました。
 日本にいても複数の師匠と仕事をする機会なんてまずないのに、同時にナディァ・サンティー二、山田宏己、日高良実というビッグネームと同じキッチンにたてるなんて・・・・・

 というわけで、そこで日高シェフがつくったのが、この、のりソースをつかったニョッキだったのです。


そして、ときは流れ1999年に帰国して青山アクア・パッツァに戻ってメニューにのっていたのがこのソースをつかったリングイネだったのです。当時パスタのなかでもねずよいファンが多く
まぎれもない、人気ナンバーワンのメニューでした・・・・




さらに、ときは流れ2001年にいまの、クチーナトキオネーゼ・コジマにリニューアルする際、
ひとつの決断として看板料理であるアクア・パッツァをメニューリストからはずしました。
それは、ここからはアクア・パッツァという、おおきなブランドによりすがるのではなく、失敗も含めて自分の責任で進んでいくということ、そして新しい料理の創造をするための、自分へのプレッシャーであったと思います。
 しかし、悩みに悩んだ末、このパスタだけは青山アクア・パッツァとローマでの思い出をのこすため・・・そして僕のトキオネーゼの出発点であるこの料理だけは新しくリメイクして自分らしさをとりいれて、新しいメニューリストにのせました。
 あれから4年半がたちましたが一度たりともメニューからはずしたことはありません。そしてこれからも、ずっと作り続けていく・・・そんな一品です。


 料理人として、これだけ大切な一品とであえたのは、本当に幸せなことだとおもいます。
 そんな気持ちと感謝をわすれずに、毎日毎日そしてもっとおいしく、もっとおいしくという気持ちで作っていきたいと、おもいます。